2023年8月01日
皆さんは、中村哲医師と岩村昇医師をご存知でしょうか。中村医師については活動されていた時期が近年であったこともあり認知度も高いと思いますが、岩村医師についてはまだご存知でない受験生の皆さんもいらっしゃるのではないでしょうか。
この度、岩村医師が鳥取大学出身であることから、鳥取大学医学部の講義で取り上げられ、Lattice掲載漫画『岩村昇物語』が資料として使用されました。
36年間、戦乱と干ばつに苦しむアフガニスタンで人道支援を続けた中村哲医師。医師という立場を超え井戸や用水路の建設に取り組み65万人もの生活と命を救いました。しかし2019年12月、武装グループから銃撃を受け死亡。享年73歳。その中村哲医師が、復興活動や人道支援の道を歩むこととなったのは、1982年ある医師の講演に影響を受けたことがきっかけだそうです。その医師とは、ネパールをはじめアジア諸国で医療活動に従事した鳥取医科大学卒業の岩村医師です。
講義に使用されたLatticeの漫画はこちら
◆岩村昇医師
岩村医師は、広島での被爆体験をきっかけに、医師になり人の命を救いたいと願うようになりました。1954年、米子医科大学(現在の鳥取医科大学)を卒業。1959年『日本キリスト者医科連盟』の総会で、日野原重明先生からネパールに関する報告があり、「ネパールでは公衆衛生に詳しい医師を求めている。」という日野原先生の言葉に岩村医師は大きく心を動かされました。1962年、日本で初めて設立された国際協力NGOの一つである日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の派遣ワーカーとして夫婦でネパールに赴任しました。
以後18年間、ネパールにて、巡回診療・結核・コレラ・赤痢・伝染病等の治療や予防、栄養改善のための活動をはじめ、『アジア自然塾』や日本で最初の『使用済み切手運動』、『おかあちゃんホーム』と呼ばれる施設では、妻史子さんと共に多くの孤児を預かり、ネパールの“草の根”の人々のために奉仕してきました。
引退後も多くの活動を続ける中、アジア自然塾の青年版『IHI(国際人材開発機構)』の活動では、マザー・テレサとの出会いが岩村医師の考えを形にしていくきっかけとなり、“経済的に豊かになるだけでなく心身共に健康であるだけでもない、それらが総合的に向上するような村づくりをしていくリーダーの育成”がIHIの目的となりました。その後岩村医師の活動は世界中から注目され、多くの国や団体から表彰されました。
2002年にはネパールに岩村記念病院を開設。その3年後に78歳で永眠しました。岩村医師は生涯をかけて「平和を作っていくこと」を訴え続けました。
1973年「吉川英治文化賞」受賞
1981年「国際ロータリー平和賞」「アジア・アフリカ賞」受賞
1993年「マグサイサイ賞」受賞
今回講義を行った鳥取大学医学部消化器・腎臓内科 杉原誉明先生が、講義後に行ったアンケート結果をシェアしてくださいました。
鳥取大学医学部医学科1年生対象 ヒューマン・コミュニーケション Ⅰ
「先人から学ぶペイフォワード」
〈岩村昇医師、中村哲医師の認知度〉

◆講義に参加した鳥取大学医学部1年生からの感想
●患者を待っているだけではなく必要とされるところに自ら出向いていくお二人の姿勢に感動しました。私も将来はアフリカやアジアなどの地域に行って現地の人たちのためになることをしてみたいと思っているのでお二人の生き方をもっと詳しく知って参考にしてみたいと思いました。
●私はまだ狭い世界しか見れていないんだなということを実感しました。岩村先生や中村先生のようにもっと広い視点で世界を見てみたいと思いました。体験が一生ものになるんだということも感じました。ペイフォワードをわたしも大切にして生きて行きたいなと思いました。
●岩村昇先生の「待っていては手遅れの患者を増やすばかりだ」という言葉が印象に残りました。医師は患者さんの病気や疾患を受けて最適な対応をする技術者だというイメージを持っていたのですが、医師こそ自ら行動を起こさなければならないという考えは自分の中で新しい価値観でした。楽しかったです。
●私は、中村先生の著書を読むにつれ医療での人道支援の大切さに感銘を受け、医学の道を目指そうと思うようになりました。そして、憧れの中村先生が亡くなられたことを知った時は、海外で活動することがいかに大変であるかと感じると共に、私もその背中を追いかけたいと強く思うようになりました。途上国において(特にアフリカ)、現地の人や世界中の様々な分野の研究者とのコミュニケーションを通じて、用水路や病害虫、栄養の管理などを通して、衛生状況を改善し、感染症の流行を抑え、より多くの人を助けることが私の夢です。
●日本のみに留まらず、より過酷な環境で医師として働かれたことの凄さを漫画で親しみを持って学ぶことができました。
●今日の話を聞き、頭で色々と考えてみるのもいいが、とにかく行動に移すことの大切さを学んだ。人生の残り時間を逆算してみると、本当にいろんな冒険ができるのはほんのわずかな間しかない。手を挙げるのをためらう側ではなく、積極的に発言する側の人間になりたい。
●お二人は自分の意志を貫いて挑戦していらっしゃって、そのような姿は医師を志す私にとってとても背中を押されるものでした。
鳥取大学医学部消化器内科 杉原先生、この度は講義でのご紹介、アンケート結果のご共有ありがとうございました。
YMS 七沢先生より
たくさんの感想、有難うございます。先人の功績を知って頂き、国際的視野を持った医師が輩出されることを切に希望いたします。現在も中村哲先生の後輩にあたる九州大学卒業の川原尚行先生、大分大学卒業の吉岡秀人先生、京都府立医科大学卒の服部匡志先生など、少なからずの日本の医師が、日本で得た医学的知見と技能を途上国で人道支援として存分に発揮しています。生徒さんの中に少しでも医療の届かないところに医療を届ける、または、間接的にでも支援してくれる医療者になってくれる人が出てくれることを期待し、私も微力ながら啓蒙的活動を続けていきたいと思っています。これを機会に次世代の医療者教育に少しでも役立てればと存じます。
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